2008年01月11日

2008年、初ブログ

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明けましておめでとうございます。
今年も、ピクニック・ブログをよろしくお願いします。

そういうわけで、新春の初ブログになりますが、
内容は、昨年末に開催された、ピクニックの忘年会です。
12月28日に、3人の監督はじめ、脚本家、プロデューサー、
スタッフなど、総勢16名が、当社の会議室に集結しました。
(ホテルの宴会場でなく会議室というのがピクニックらしい?)

ふだん、こうして全員が揃うことは珍しいのですが、
ピクニックって、具体的にはこういう人たちで構成されている、
ということが、はっきりと分かった次第です。
映画会社っていうのは、結局、人間なんですね。
映画作りには、お金、事務所、電話など、いろいろ必要ですが、
どんな人間が集まっているかが、信用に繋がります。
スタッフ、キャスト、それに出資会社も、
それらを総合的に判断して、一緒に仕事をしてくれます。
まあ、実際に話をしてみると、それぞれ考えていることは違い、
どんな映画を作っていくか、会社のラインナップを決めるのは、
ほんと難しいことだと痛感します。
でも、神童、天然コケッコー、コドモのコドモ、闘茶と並ぶと、
会社のカラーがでているようにも思いますが、どうでしょうか。

このHPの「ピクニック気分」や「そもそも」のコーナーに、
ピクニックの理念というものを、いろいろ書いていますが、
とにかく、わいわい自由に話ができて、面白い人が集まる、
そんな会社になりたいものだと思っているわけです。

2008年は、映画だけでなく、テレビドラマも作る予定で、
DVDブックスなどにも挑戦していきます。
お正月明け早々、ロケ、編集と続き、みんな忙しいですが、
2008年が、いい年になりますように、願っております。
そして、年末、また笑顔で会いましょう。

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小笠原監査役のお姉さんが、釧路から蟹を送ってくれました。
そのおかげで、会場は華やかな雰囲気に包まれました。
監査役自身も、蟹ばさみで見事に取り分けてくれました。
また、前田会長のクジ引き遊びも、意外に(?)盛り上がり、
次回も期待しているむきが多いようです。
どうもありがとうございました。

春藤忠温


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2007年12月21日

ドバイで天コケ、アラブで水浴び

 『天然コケッコー』は見る劇場や場所などで随分印象が異なってくる映画みたいで、山下監督などはスタジオ・ジブリの試写室で見た天コケは音の再現性が格別だったと感嘆してましたし、M-on!の齋見さんによれば釜山の新しいシネコンで体験した天コケは何か全然違う感触だったといいます。その意味で今回発売されたDVDの天コケも画質が大人っぽいというか独特の質感がありもうひとつの天コケを見たといった雰囲気さえします。

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 筆者も先日、意外な場所、アラビア半島はドバイにて天コケに再会しました。4回目を数えるドバイ国際映画祭のアジア映画部門での出品という事で、世界で二番目に大きいとの触れ込みのショッピングモール内にあるシネコンでの上映ゆえ一見普段と変わらない光景ではありましたが、そこを行き交う人々の中に黒装束の女性が友達連れで現れたり(顔を隠している人は案外少なく皆さん自分なりにカスタマイズしてショールをオシャレに羽織ってたのが今風でした)、Q&A後のロビイでアラブの白装束を着たおっちゃんからなぜかサインを求められたりするとアラブなんだ、とようやく実感。そもそもドバイという都市は砂漠のなかに作られた架空のまちというか、抒情を欠いたディズニーランド型の観光都市で、まさに“普請中”という言葉がぴったりなバブルシティでもありました。気温は25度くらいだったので快適な初夏といった気候でホテルがアラビア海沿いに位置するため、ビーチも楽しめ、寒い東京から豪華なエミレーツ航空に乗り一気に夏へとワープしたかのような奇妙な旅でもありました。映画での笑いどころは一部在留邦人(1000人くらいいるらしい)もまじっていた事もあってか、しげちゃん、さっちゃんがらみが多く、日本でのそれと大きくは変わらなかったのですが、通訳の方、ヒロミさんの話によれば前日夕方での上映はフルキャパで西洋人も多く、かなり積極的に笑ってくれていたようです。ディレクターのサイモン・フィールド氏は、以前ロッテルダム時代に何度か会った事のあるイギリス紳士ですが、この映画をいたく気に入ってくれていて、日本映画を見るときまってCrazy Young Guyが出てくるが、この映画にはそういう奴は出てこないし、全体の空気感というか雰囲気がとってもいいと絶賛。いや、でもこの映画にはひとりだけちょっと狂った奴がいますよと、しげちゃんを想定しつつ水をむけたところ笑いながら“I Know! it is YAMASHITA!”とおっしゃってました。

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サイモン・フィールド氏と

ドバイを歩いてみても(というより基本は車移動)歴史性を感じるということはほとんどありませんでしたが、そんな街にも運河にそった旧市街(といっても30年くらいの街の感じでした)があって、そこには古代船のようなものが浮かび、このボロ船でイラン辺りにさくっと行ってしまうとの事でした。いわゆる市場(香辛料、金銀、布)もこのあたりに軒を連ねており、おみやげスポットとしても発達しておりました。この街というか首長国は、やはり定住というよりはいつでも移動できるような態勢でかりそめに滞在している方がお似合いで、その意味では観光、リゾートにはうってつけの街といえ、その線にそって設計をしているようにも思われます(最近磯崎新さんとかもやってましたっけ?)。どこからも見えるようなものすごい高さの高層マンションも建設中で、何とアルマーニがデザインを総指揮してるとの事。帰りの空港内のDuty Free Shopも夜中はとっくにすぎているはずなのに気違いじみた混雑ぶりと、いやはやこれは何から何迄泡沫都市だ・・という感じでした。もう一度別シチュエーションで行ってみたいと思いました。

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香辛料市場

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これが噂の七星ホテル(ここの宿泊ではない)



根岸洋之
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2007年12月18日

最近観た映画

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 昨日2本の映画を観ましたので、そのことを書きます。


 1本は『ハーフェズ ペルシャの詩』。憧れのアボルファズル・ジャリリ監督の新作です。

 ジャリリ監督の作品を始めて見たのは、10年ぐらい前に『楽園』と言う作品で始めての海外映画祭(トロント映画祭)に参加させてもらった時。映画がただで観られることに驚き、喜び勇んで朝から晩まで映画館をはしごしました。英語に堪能なわけではないので字幕を追うこともできず、何となくこんな話なのかなぁと勝手に想像しながら見ていたのですが、数日経つうちに何だか妙な孤独感に襲われました。やはり台詞が分からないと当然のことながら内容も今ひとつつかめず、何だか映画に相手にされてないような気になるものです。
 そんな時、ジャリリ監督の『ダンド・オブ・ダスト』と言う作品に出会いました。レンガ職人と一緒に働いている男の子が、近所の女の子に思いを寄せると言うとてもシンプルな物語。台詞が極力少なかったことも手伝ったためか、いやそれだけでなく、僭越ながらぼくはこの男の子のことをよく知っていると思えたのです。スクリーンに網膜が張り付くような感覚で見入りました。砂漠でレンガを作っているから、それはそれはホコリっぽい、少年の髪の毛もホコリまみれでアフロみたくなっている。おいおい、風呂はないのかいと言いたくなるほど。あれは映画の中盤ぐらい、レンガ職人たちが、おそらく明日は仕事が休みなのだろう、トラックで町に繰り出そうとしている。ホコリまみれのままじゃ何だからとようやくみんな顔を洗う。順番を待っていた少年もやっとこさ水を浴びる。なぜだか、たったそれだけのことなのに、ぼくはじゃらじゃら涙をこぼしてしまった。水道の水を浴び、アフロの頭が小さくなり、さっぱりした少年が現れる。ただそれだけなのに……。映画ってやっぱすごいんだなぁと思いました。このジャリリって人はまじすげーと思った。

 映画祭から帰国してこの衝撃の感動作のことを伝えたく喜び勇んで『楽園』を配給してくれていたビターズ・エンドを訪ねると、すでに事務所の壁には『ダンス・オブ・ダスト』のポスターが貼ってあり、定井さんは、「フフフ」と微笑みながらもう既に配給を決めていたばかりかさらっと宣伝を始めていました。聞けば、この作品は過酷な状況下にある子どもの姿をあまりにリアルに描きすぎたため、国内で論争を巻き起こし上映禁止に追い込まれていたのだと言う。何も知らなくてとても恥ずかしかった。


 最新作『ハーフェス ペルシャの詩』はその定井さんがジャリリ監督と一緒にプロデューサーをしている。そう言えばついこの間までミシェルゴンドリー組やレオスカラックス組もやっていた。映画作りはすでに国境を越えているようだ。

 ついつい前置きが長くなってしまいましたが、映画は詩人の物語です。今度は言葉が沢山ある。この世界をつかもうとする言葉に溢れ、そしてその言葉を砂漠のあちこちに運ぶ男の姿がなんだか愛おしく、神話の中に導かれるようだった。日本から麻生久美子さんが出演されていた。窓辺からふと外を見ている場面があり、これがまたすごかった。吸い込まれそうになった。そこにいるんだけど、今にもなくなっちゃいそうな透き通った表情。まだ上手く言葉にできないけれどスクリーンにおーいと声をかけたくなる今まで味わったことのない不思議な感覚。「儚い」と言う言葉があるけれどきっとこんなことを言うのかもしれないとも思う。ジャリリ監督はお客さんにその作品の世界を体験させてしまう。うーん、そうありたいものです。

 映画は来月(1月19日)から東京都写真美術館ホールで公開される。うーん、何だか宣伝みたくなってしまいましたがこれは必見。ぼくももう一度大きなスクリーンで観てその秘密を探ってみようと思います。

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 あ、もう1本の映画のことは今度また書きます。


萩生田宏治
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2007年12月10日

天才お笑い子役?発見!

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 先週の12月2日、日曜日、山下監督、向井康介脚本の短編映画『実験4号』(仮題)が常陸の国にてあっさりクランクインし、四日後には早くもアップしました。

 温暖化が進んだ100年後の地球という設定のSFにもかかわらず、現地はといえばとにかく寒い、寒い、ま、当たり前ですが。冬撮影に慣れていない筆者としては油断気味にうかつな格好で来てしまい、あまりの冷え込みに、ホカロン貼りまくり状態になりました。山下監督はさすが『松ヶ根』経験者だけあり上も下もヒートテックで完全武装、マイペースに演出してました。

 中身は学校を舞台にした女教師(モデルの竹下玲奈さん)と男の子達三人のお話で、小田斬役の赤堀さんも含めいいキャスティングとなりましたが、その中のシンちゃん役を演るまだ7歳の松下航大くんがすごかった。『天然コケッコー』のさっちゃん役・宮澤砂耶さまの大女優ぶりも堂にいっていたが、そこはやはり男の子、とどまる処を知らぬ狼藉乱暴ぶりがとにかく見ていて飽きないというか面白すぎました。何しろ天下の伊賀大介をつかまえ“イケメンじいちゃーん”ですから。録音助手はなぜか“もぐら”。美術の谷内女史は色々小道具を作っているのを評価され“博士”。筆者などは最初の頃、肩車をして遊んであげ、松下君の「6階!」とか「2階!」「頂上!」といった指示にそって昇降を繰り返したところ、その後は「エレベーターはどこ?」「あっエレベーターが見に来た」などと呼ばれる始末。現在、小学生界を席巻する「そんなの関係ない!」の物真似はともかく、この松下君は、機関銃にようにいろんな奇想、暴言、ギャグ、物真似を連射する自由な精神の持ち主で、コドモはある時期一瞬天才(天災?ともいえるが)になるという格言?のまさに一例証といえるでしょう。撮影終了時には、明日も撮影したい、とごね一時間近く泣いてたという可愛らしい挿話も含め、その生なドキュメントが画面に少しでもうつっていたとしたらこの作品も楽しいものになるのでは、と予感させた現場でした。

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なぜか寝っころがりながら演出を受ける松下君

根岸洋之
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2007年12月03日

生まれて初めてのブログ〜〜映画賞受賞の巻

 ワインバーの隠れ家的名店、西荻の"L***"で、春藤社長から、「前田も早く書けよ!何でもいいからさー」と言われ始めたのは、まだ暑かった今年の8月。
 脚本ではなく、このブログのことです。
「まだ書いてないヤツがいっぱいいるじゃん!皆が一通り書いてから書くよ」と延ばし続けていたら、最近は、山下監督はじめ、向井君や宮下さんも続々と素敵な文章をアップ。
 「参ったなー。順番が回ってくる!」
 私はオロオロしだし、うつむいてカルヴァドス(=リンゴ蒸留酒の安いもの)を舐めながら先月までを過ごしていましたが、そんな私にも、ついに書かずにはいられない大事件が勃発!
 17年に及ぶピクニック史上最大のトピックが巻き起こったのです。それは・・・

「映画賞!」。
 いま、私のアタマはこのことでいっぱいです。

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行くヒマがなくなったワインバーの図

 つい3週間前に、萩生田監督が撮った「神童」にご出演いただいた成海璃子さんが、第31回「山路ふみ子新人女優賞」を受賞され、

http://news.goo.ne.jp/article/sponichi/entertainment/kfuln20071201006007.html

 「うーむ、成海さん本人の卓越した実力はもとより、萩生田君の演技指導の功績も大きいかも」と、こみ上げてくるうれしさを隠しながら過ごしていたら、今度は、第32回報知映画賞選考委員会から連絡が・・・
 「天然コケッコー」を監督した山下君が「最優秀監督賞」、それも史上最年少での受賞、そして、その映画に出演いただいた夏帆さんが「最優秀新人賞」に決定したとのお達しでした。
 にわかには信じられない吉報で、この喜びはもうとても隠しきれません。

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山下監督は31歳最年少受賞

http://hochi.yomiuri.co.jp/event/culture/news/20071128-OHT1T00086.htm

 ご存じのように、映画賞といわれるものは、その年度内に国内で公開されたすべての映画が候補となって選考されていきます。
 日本映画に限りますと、その数は約400本。その中のほんの数本が受賞の栄誉に浴するという、まさに「狭き門」なのです。

http://hochi.yomiuri.co.jp/event/culture/news/20071025-OHT1T00112.htm

 当社のように小さな会社が、そのような大きな賞にいくつも関われたのはまさに奇跡。まだ「神童」と「天然コケッコー」、たった2本の映画しか公開できていないのに、です。

 「2年前に思い切って映画作りへと大きく舵とりをして本当によかった。あの時の決断は間違いではなかった」と思うと、心の底から安堵感がわき起こり、そしてなぜか、「あー、助かった!」とワケもなく胸をなで下ろしてしまいました。

 一応、当初から理想は高く、「業界最高の知性と良心を結集して映画を作ろう!」と大風呂敷を広げて皆に説き続け、そのつもりで運営してきたものの、内心はものすごく不安で、こうも早くその成果が出たり、皆さんから評価がいただけるとは思ってもみませんでした。
 それゆえ、受賞の報に接して以来、今日までずーっと、しみじみ、その喜びをかみしめては、カルヴァドスと一緒に「ゴックン」と身体に流し込んでいます。

 といっても、各賞は、監督個人や俳優さんへの授賞であって、直接的に当社の栄誉とは呼べないかもしれません。
 しかし、1本の映画が企画から完成、そして公開に至り、その後、衆目にさらされながら名作として育ち、やがてそこから名監督や名優が生まれていくまでの道程には、少なくとも数百人のスタッフや関係者のご苦労、ご尽力、ご協力があり、そのうえに、最後には観客の皆様のご支持が必要でした。

 制作会社としての当社はたんなる黒子でしかありませんが、泣き、笑い、呻きながら、それでも何とかして理想に近づけたい一心で完成、そして公開にこぎ着け、世に問うことができた作品が、それなりの評価を得たことは、何にも代え難い喜びです。
 制作会社として、あらためてこれらの映画に携わってくださった皆様一人ひとりにお礼を申し上げたいと思います。
 本当にありがとうございました。

 「1に品質、2も品質」のスローガンのもと、いつのまにか、20名近いスタッフが集まってしまい、食べていくだけでも大変ですが、さらに努力を重ね、日本映画の歴史に、たとえ小さくてもキラリと輝く足跡を残せる会社にしていきたいと思います。

 今後ともご支援、ご指導をよろしくお願いいたします。
 このたびは本当にありがとうございました。

前田直典
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2007年11月30日

「鍋のなかで夢みる猫」

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「ねこ鍋って知ってますか?」
と突然、ピクニックの美人デスクSさんに微笑みかけられた。
数ヶ月前の話だ。
「ネットで見れるんですよ」と早速見せてもらうことに。
嬉しそうなSさんの微笑みと裏腹に、どんな残酷な映像なのかとドキドキしながら。
ユーチューブの動画。予想を裏切り、それは、愛くるしい猫が鍋のなかで丸くなって眠っている姿。
単音のゆるい音がほのぼのと流れるなか、子猫が土鍋の中で丸くなって眠っているのだった。
ポイントは無理やり猫を鍋に入れるのではなく、自発的に入るのを待つということ。
もともと猫には、狭いところに自分の身体をぴったり収める習性があるらしい。
自宅で飼っている猫も、ダンボールやソファの角、スーパー袋の中へ自分から入っていくのが好きなようだ。

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早速、愛猫・ミカンで試してみることにした。
直径25pほどの土鍋を床に置いてみる。
やってきたミカンは興味を示し、匂いをかぎ始めた。
そして前足を鍋に入れ、身体を丸くして横たわらせようとした。
が、残念ながら収まりきらなかった。
よくよく考えてみれば、ミカンの体長は40pはある。
そういえば、あのねこ鍋は子猫だった。ミカンは生後一年の成猫。
鍋の中に入ろうと何度も挑戦するミカンに、なんだか申し訳ない気持ちになる。
次はもっと大きな土鍋を買って、夢をみさせてあげようと思う。

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宮下和雅子
posted by ピクニック at 18:54| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月19日

天コケ、季節はずれのキャンペーンに

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 『天然コケッコー』の東京公開より数ヶ月経ち、DVDリリースも来るべき12月21日へと迫りつつありますが、先週土曜の11月17日、天コケは富山市の繁華街にあるフォルツァ総曲輪という劇場でもさりげなく公開され、その舞台挨拶や北日本放送のラジオ出演などの為、伊吹役の柳英里沙さんとともに富山を訪れる事になりました。柳さんは若いながらも(高二)話し相手としては申し分のない相方として、高原兄さん(アラジンの元ボーカルです。)や中島真紀子さんのうまいつっこみにも巧みに応じつつ、なかなか楽しいトークの時間を過ごすことができました。天然コケッコーのように幸福な映画もそうそうないので、話も尽きない訳ですが、その日の夜は魚をおいしくいただき、翌日は北日本放送の鍛治さん肝いりの富山名物ブラックラーメンに挑戦と、さすがに食材が豊富な富山といった感じのツアーとあいなりました。

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酔っぱらった眼で見た富山の夜

根岸洋之
posted by ピクニック at 19:22| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月13日

嵐を呼ぶM.G(打ち上げ篇)

ドラム

 ミシェル・ゴンドリー組の撮影も11月13日の実景撮りで無事完了しました。短編ながら結構厚めのメニューでしたし、フィルムも結構まわってましたが、スタッフにとっても、キャストにとっても、実にフレッシュな体験となったのは間違いない所です。東京に単身(といってもいつも脇にガブリエル嬢がいましたが)乗り込み、日本人キャストと日本人スタッフの中に入り込んで、日本語での芝居を演出する、これはエグゼクティブ・プロデューサーの澤田さんもおっしゃっていたように、ミシェルがいかにインターナショナルな映画作家であるかの証左である、と。パリでもブエノスアイレスでもプラハでもマニラでもおそらく自分の想い通りの映画を撮る事ができるインターナショナルな感覚。確かに地方性に徹する事で普遍性に達する例も今迄多々あり、それはそれで十分に美しいわけですが、21世紀になり、これだけ地球が狭くなってくると国境や言語をやすやすと超え自分の作品をものしてしまうフットワークの軽さとしたたかさはやはり重要で、こうした資質は彼がもともと音楽をやっていた経歴から来るものかもしれないと、打ち上げで楽し気にドラムを叩く姿を見てふと思いました。打ち上げは、藤谷文子さん&演出部によるジャクソンファイブなどもありとっても盛りあがり、愉快なひとときを過ごす事ができました。

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 加瀬亮氏より聞いたところによればミシェルはあの清水宏という小津と同時代の映画作家のファンらしく、『蜂の巣の子供たち』のビデオを入手できないかと頼まれたと言います。清水宏のリメイク映画に出演した俳優に清水宏映画のビデオを探索させるセンスもまたインターナショナルと呼ぶべきなのでしょうか。

根岸洋之
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2007年11月09日

2007年,3月、本物に会う

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 2007年は出会いの年というか自分にとってもの凄く偉大な人たちと会える機会の多い年でした。

 今年の3月、テキサスのダラス映画祭に参加したときなんとあの“デヴィットリンチ監督”と会うチャンスに恵まれました。リンチ監督の印象は掴みどころが無く目線もどこを見ているか分からなく、地面から5センチ浮いているような、とにかく浮世離れしている…、まぁ作っている映画の印象に近い感じでした。
海外の映画祭に参加するようになったのは今から7年くらい前。その頃はとにかく有名な監督(主に優しい日本人)を見つけると“新人”という立場を利用して記念写真を撮りまくっていましたが、ここ最近は“そういったミーハーじみた行動はひかえよう…”と思い、あまりそういう場ではカメラを取り出すのを止めていました。しかし、あの“デヴィットリンチ”を前にするとそんな気持ちはあっさりと吹き飛び、気分は単なる映画小僧に逆戻りし、通訳の方に無理を言って写真を撮ってもらいました。
ちなみにこの時は新作の『インランドエンパイア』の上映に立ち会っていましたが、どうやら自分でプロデュースした「デヴィットリンチコーヒー豆」のプロモーションのほうが実はメインらしい、ということを通訳の方が教えてくれました。あと、ローラダーンも来場予定でしたが、ドタキャンしてました。一緒に写真撮りたかったです。
そして、今年はそのあと上島竜兵さん、ブライアンデパルマ監督などなど偉大な方たちと写真を撮っていくのですがそれはまた次の機会に…

山下敦弘
posted by ピクニック at 22:27| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月06日

エキストラの人々

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京都の「闘茶」ロケ、快調の様子、いいですね。

11月3日、ミッシェル・ゴンドリー組の撮影に、関係者エキストラとして参加しました。
朝、九時に横浜の京急線日の出町駅に集合した約20名の男女は、
歩いて5分ほどの「かもめ座」という、古い映画館まで、引率されました。
役柄は、この場末の映画館の観客役です。
日の出町一帯は、花月園という競輪場や運河、風俗店など、
横浜の古くて猥雑な面を保ちながら、朝から人通りが多く、活気のある街です。
私は、あらかじめ労務者風のいでたちで、と言われていたので、
髪もひげも伸ばしたまま、ドカジャンを着て「役作り」して臨みました。
その甲斐あって、とくに、着替えの必要はないまま、「合格」し、
労務者として観客席の一番前で、映画を観る「役柄」を得ることができました。
撮影は長びき、深夜にまで及びましたが、昼・夜の幕の内弁当と、
参加賞のTシャツ一枚の報酬だけで長丁場に付き合ってくださった20名近くのエキストラの方々には、ほんとうに頭が下がります。
なかでも、多いときには、ひと月に十本の映画にエキストラ出演するとおっしゃるMさんは、
「これが戦前生まれの弁当の食い方だよ」、と言ってきれいに全てを食べ尽くした、空っぽの弁当箱を見せてくれました。
エビのしっぽもミカンの皮も残っていません。
他の方たちも、顔なじみが多いようで、和やかながらも、自分の「出番」を期待する様子が伝わってきます。

エキストラの皆さん、長い時間、お疲れさまでした。
このような方たちが、映画を支えています。

ピクニック  小笠原高志
posted by ピクニック at 19:49| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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