2008年03月17日

男性の好きな出産映画

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『コドモのコドモ』の編集が終わった今、映画の準備中、あるいは夏冬二期に渡る撮影合間にたまたまDVDなどで出会った過去の映画で描かれていた出産シーンについて備忘録がわりにこのブログを活用しておきたい。

 『コドモ』はシナハンの道すがら“西部劇的”という空気感がロケ地選択の潜在モチーフとなっていったが、ジョン・フォードの『三人の名付け親』などにはまさに幌馬車のなかで赤ん坊が生まれ(母親は死に)、ジョン・ウェインをはじめとする三人のむくつけき男たちが赤ん坊を託され戸惑っていく様がユーモラスに綴られていた。
 『アパッチ』という西部劇、これはオルドリッチ監督であるが、この映画のラストでもバート・ランカスター演じる凶暴きわまりないアパッチが追撃隊と闘っているさなか、山上の小屋で妻がひとりで出産を果たす。遠くの方から赤ん坊の泣き声がきこえてきて戦闘状態にあった両者がそれを受けいつしか戦闘本能を喪失していくという流れで、なかなか感動的なのである。
 ドン・シーゲルの知られざる短編(Star in the Night)もまたキリスト生誕にも比す現代西部の出産映画になっておりバーに集う人々が出産という事態にバタバタしていく様子が的確な演出により小気味良く活写されてゆく。そういえばあのハワード・ホークスもあるインタビューの中で、冬の山小屋に閉じ込められた女性が自力で出産をする羽目になるコメディを構想しているとカイエの連中に向かって話しているが、こうした男っぽい監督たちにとって出産という謎は映画的にそそるモチーフだった事が知れる。
 『駅馬車』にも東部より来た淑女が駐屯地で赤ん坊を産むシーンがあり、同乗者の男達はトランプをやりながら待ち赤ん坊の泣き声をコヨーテの鳴き声と混同する始末である。
 サミュエル・フラーの『最前線物語』でも戦場での出産シーンがあり、リー・マーヴィンの産婆ぶりがおかしかったが、『極私的エロス恋歌1974』ほどとはいわないまでも出産カットそのものを一瞬とはいえ挿入し観客をドキッとさせてくれる『インディアン・ランナー』においても今まさに父親になりつつあるヴィゴ・モーテンセンはバーで飲んだくれ大乱闘を繰り広げていく。
 この居心地の悪さというか出産そのものから遠ざけられた生理感覚も男性から見た出産という事態ゆえの当たり前な距離感といえる。
 もちろん『バックマン家の人々』のようにごくごく普通な(高齢という意外性こそあるが)病院での出産シーンもあることにはあり充分微笑ましいが『バッチギ!』での出産シーンと喧嘩シーンのカットバックが歌謡映画的手つきのなかでスムーズに語られていく方がやはり盛りあがるのは単純に歌がいいからというだけではなく男が出産そのものから遠ざけられそこにいれないエクスキューズとしてアクションがたつからだ、といえそうだ。

コドモ.JPG

 で、肝心の『コドモのコドモ』ではあるが、雪の舞いおちる農作業小屋において子供たちだけで出産が為される。走るブタマンというアクションシーンもちゃんとある。主演の甘利はるなはチャン・ツィイーが出たある映画の出産シーンを芝居の参考にした。
 音楽担当のトクマルシューゴ氏がその出産シーンにどんな音楽をつけてくるのか、興趣は尽きない。


根岸
posted by ピクニック at 14:11| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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