2008年09月30日

ナレーションという奴

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 最近、ナレーションについて考えていた。

 というよりは雑多に映画を見ていて、ここにもナレーションかと気づくことが多く、そのことをとりあえずメモっておこうと思い記してみた。
 20年近く昔、森崎東さんと色川武大原作ドラマの仕事をしたとき、脚本は高橋洋だったが、ナレーションで物語を紡いでゆく構成だった。日活のスタジオで唐十郎さんのナレ撮りをしたとき、そもそも脚本には記載されていなかった最後のシーンのナレをどうするかとなり森崎監督は「唐さん考えてみて下さい」とあっさり劇作家でもある主演俳優に投げ、一瞬で思いついた唐さんが「どこかでブンと羽音がします。でもそんなものはどこにもいません。それは震えるすみ子の息づきでした」と絶妙な文句をひねりだした。
 多くの評者が言うように森崎東脚本、山田洋次監督というコンビは、日本映画史に残る最強の監督脚本家チームのひとつだと思うが、実は見逃していた『吹けば飛ぶよな男だが』をDVDで見てみたら頭に弁士風情の小沢昭一が出てきて「只今よりお目にかけまするは松竹映画、題しまして吹けば飛ぶよな男だが、夢多くかつまた躓き多き若き日の人生行路の一編、不肖私及ばずながら画面の進行に連れてご説明申し上げますればどなた様にも最後までごゆっくりとご高覧のほどお願い申し上げます」との前口上があり、音楽が来てアヴァンタイトルに続くいかにも森崎さんだなぁという導入部。アヴァン中にもこの漢詩調のナレーションは続き「大都会の谷間に日は沈みここ大阪にも一日の終わりが訪れる。今日一日の労働に疲れたる人々が楽しき家路を急ぐ頃、やがて煙の都はネオンの都へとうつり変わっていくのである・・・」と来て本編が始まり、なべおさみが登場し、しばらくすると「これなる少年はこの一編の主人公三郎である」と紹介される。ナレーションの無意識にサイレント期の弁士の説明がこだましている事を示す鋭い展開ながら難しい印象は全然ない。特典で見れる山田洋次インタビューを見ると彼が「森崎さんは、まあ非常に漢詩の教養のある人でねぇ・・」などとつぶやいていた。『なつかしい風来坊』の場合は違ったナレーションで、脇役であり、傍観者的な有島一郎の「あの当時私は痔で苦しんでいた。痛さに耐えきれずに早退きをしたある日私はあいつに初めて会ったのだ」というナレーションにより奇妙な風来坊=ハナ肇との出会い、その顛末が語られてゆく。ここには一種の愛すべきダメ男への哀惜の情があり、温かい視点から風来坊について語っていくので見る者もそれに影響されるわけだ。
 ナレーションといっても色々あるが、乱暴に分類してしまうと次の幾つかのパターンのうちのどれかになるのだと思う。

1、主人公自身が語る。見てはいないので迂闊な事はいえないが、きくところによれば『私は二歳』は赤ちゃんの視点から語っているという。最初に記した唐さん主演のテレビドラマのナレーションも主人公自身の視点から別れた奥さんとの関係などを語っていった。ブレッソンの『スリ』の冒頭を見ると何か手記のようなものを書き記している手の描写にあわせ「普通実行者は沈黙し語る者は実行していない。だが僕は実行した」とナレーションがかぶり、スリのシーンへとつながり、そこに心の声のような「数日前に決めていた。僕に度胸が?」というナレーションが響く。

2、脇役が語る。『なつかしい風来坊』がこのパターン。あるいはサミュエル・フラーの『最前線物語』のように、モノクロ映像で始まる1918年、リー・マーヴィンが戦争の終結を知らずにドイツ兵を殺してしまったことを知る巧みな導入部から色がついて第二次世界大戦へとポンと飛び「その赤い布はやがて世界的に有名となった。勇敢をもって鳴るビッグレッドワンの記章として。その24年後ビッグレッドワンは再び戦った。第二次大戦のアフリカ作戦である」というナレーションが流れ、最初は誰が言っているのかわからないが、ひとりひとりを紹介するシーンに至って「これが俺サブ、小説を描いていた」と自己紹介、ビッグレッドワンの一員で、おそらく戦争に生き残り小説を書き、後には映画監督としてまさしく『最前線物語』という映画を撮る事になるフラー自身の自画像のようなキャラクターのナレーションだったと知れる。この場合脇役ではあるが、主役はリー・マーヴィンとも部隊ともいえるので、部隊の一部が語り手となっているとしたら1のパターンだし、それが作家主体に限りなく近いキャラという意味では3ともいえそうだ。

3、客観的なナレーション。これは誰が語っているのか特定できないが、映画の物語や人物関係の複雑さなどを客観的俯瞰的視点(メタレべル)より語り、映画に入り込みやすい環境をつくるという手法。わかりやすいのが東映ヤクザ映画の、特に実録物の禍々しいが説明的なナレーション。『仁義なき戦い』シリーズなどが判りやすいが、これは時代劇でもよく使われていた慣習で初めて耳にする年号などから重々しく始まったりもする。『吹けば飛ぶよな男だが』も3にはいると思うが前述したよう印象は東映とは全然違う。トリュフォーのように小説風というか画面に対し息せき切った口調で監督自身がナレーションを担当するようなケースもあるが、キューブリックの『バリーリンドン』のような冷酷無比なナレーション(発音が昔のイギリスっぽくっていやらしさを増す)によって主人公の窮状をよりいっそう際立たせるような意地悪な作風もあり、映画作家や会社によってもバラエティに富む。 
 
 最近見た『主人公は僕だった』という映画では主人公の一挙手一投足の微細な総てについて語る声がやたらと客観性を強調するかのような女性の口調で入って来るが、これは一見神の声、客観的なナレーションかと思いきや、この声を発しているのは、登場人物として映画中に存在しており、映画に出てくる“主人公の男”を主人公に小説を書いている女流小説家で、“主人公の男”はこの小説家に会い、その小説の結末を読み、ショックを受けるという展開。3を装う2のパターンであった。

 さて収拾がつかなくなってきたのでこのへんでやめておくが、いずれナレーションという奴を使って面白い事をやってみたい。


根岸洋之


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2008年09月22日

TOKYO!

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 ミシェルゴンドリーの監督した第一話目の『インテリアデザイン』の撮影現場に偶然鉢会わせたことがある。制作会社のピクニックに打ち合わせに向かう途中、落ち着き無くちょろちょろと動いている白人男性がいた。銀座辺りで外国人を見かけることはさほど珍しいことではないので何気なく横切ろうとしたのだがよく見るとエキストラの段取りをしていたミシェルゴンドリーであった。あの“ビョーク”とか“BECK”のPVでお馴染みのミシェルゴンドリーが銀座の歩道橋でうろちょろしている…、なんとも不思議な光景であった。完成した作品を観たらやたら銀座、新橋辺りの風景が使われていたがスタッフルームの近場で済ましたかったのだろうか?
 まぁ、それはいいとしてゴンドリーの長編最新作『僕らのミライへ逆回転』を観ても感じたのだが“自主映画”に対して人一倍思い入れのある人なのだろうと感じた。いや、“自主映画”というより“手作り映画”という呼び方のがしっくりくる。“野心”や“自意識”が渦巻く“自主映画”ではなく映画という存在自体に対する純粋な“憧れ”や“遊び心”を大事にした“手作り映画”という言葉ががゴンドリー作品からは伝わってきた。
過去にLEGOブロックだけで構成されたPVを作ったゴンドリーだけあって子どもの目線を持った大人、つまりは“成熟した子ども”みたいな人なんだろうなと思った。

 それとは反対にレオスカラックスの『メルド』を観て感じた印象は思春期特有の“反抗期”。「特に日本人が醜い」というようなセリフが劇中出てくるが“日本人”であるという必然性は正直薄く、カラックスにとっては“俺”意外の敵は“世界”なのであろうと感じた。まさに反抗期の中学生。だからカラックスという人は“中学生が成熟した大人”みたいな人なのであろう。

 ポンジュノの『シェイキング東京』は他の2作品よりは落ち着いていて穏やかな作風であった。ポンジュノは毎回絵コンテをきっちりと書いてから作品に取りかかるスタイルをとっていて、今回も流れるようで力強いカット割りや演出は健在であったが他の2作品に比べ自分の中に引っかかる何かが無かった。上手く説明出来ないかもしれないが隙のない画作りや隙のない演出によって個人的に僕の好きな“隙間”や“間”が埋められてる気がしてしまった。それはもしかしたらポンジュノがアジア人であり日本と近い韓国の監督であるということが大きな要因かもしれない。ゴンドリーやカラックスの見る日本(東京)はやはり少し歪でありそこに僕ら日本人が新たに見つける隙間や発見があったせいかもしれない。しかしそうは言ってもポンジュノの画作り、空気感はさすがだと思ったし盗みたいと思ってしまった。

 偉そうに書いてしまったが作品として最近観たオムニバスではダントツで面白かった。特に『メルド』のドニーラヴァン(地底人?)と同じ種族の弁護士の喋る何語か分からない“宇宙語”みたいなやり取りはよく分かんないけど観ていて気持ちよかった。それとオープニングの銀座の街を突き進む地底人はスカッとした(かなり日本人がバカにされている感じだけど…)。

って、結局一番印象に残ってるのは『メルド』のような気がしてきた…

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山下敦弘
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2008年09月11日

コドモのコドモのコドモたち

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にやけた監督と愛らしい谷村さん

 『コドモのコドモ』のメイキング番組ができあがりました。オン・エアはM-on!にて9/19、20:00より。リピート放送も予定されております。

 ちなみにこの番組には案内役がいて、声の出演、すなわちナレーションを、映画中で秋美というお姉さん役をやった谷村美月さんが担当してくれました。彼女はご存知のように関西在住なので、発音がばりばり関西風、ナレーションの細部に於いて、何か発音がちょっと違うぞという箇所(たとえば“安堵”。“あ”を強調するのが関東、“ど”を強調するのが関西。谷村さん発音だと“納戸”みたいな感じに成る訳です)が幾つか生じ、そこを何度かやり直す事になりました。ディレクター氏も神戸出身だからか意外と気にしていないので、マネージャー氏や、わたくしなどが発音の直しに乗り出したほどでした。谷村さんはとてもナレーションを楽しめたようで、作業はとどこおりなく終わり、そのほのぼのとした肉声がこの番組に温かいぬくもりを与えてくれました。

 ちなみにディレクターというか監督は志子田勇くん。大阪芸術大学出身(またしても!)の自主映画作家で、最近は助監督などもやっているようですが、昨年のPFFで審査員やったおり『革命前夜』なる小品を出品してきて出会いました。賞はとれなかったのですが、ちょっと気になる作品だったのでメイキングで声をかけた次第で『コドモのコドモ』の現場では、メインキャストに限らず現地のコドモたちにえんえんカメラを向け、ミニDVテープを100本以上も回しておりました。映画も結構見ているようで、自宅での編集にお邪魔したところ、『ジュリアン』『ウェスタン』・・・などなど安売りビデオが山積みになってました。そういえばこの番組にもハーモニー・コリン風の画面があったような・・・。編集に関してはいろいろ口を出させてもらいましたが、最後の方の凧揚げのシーンは志子田タッチ(笑)になっていて、とってもいい感じです。この番組では、さそうさん、谷村さん、監督などのサイン入り脚本プレゼントなどもあり、とっても魅力的なグッズになりましたので、是非覗いてみて下さい。コドモ達も映画とはまた違った無防備な表情を見せており、映画も含め両サイドから楽しめる内容になっている思いますので。
 

根岸洋之
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2008年09月01日

日比谷野音でクラムボン

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 昨日、日比谷野音にてクラムボンを見ました。
 野音でクラムボンがライブをするのは今年で6回目という事ですが、昨年は見逃していたため(あるいは昨年はやらなかった?)、おそらくは僕自身は5回(あるいは6回)見たという事になりそうです。
 正確な記憶ではありませんが、確か2002年に初めて行ったのだと思います。そのときはそんなによくクラムボンを知らずになんとなく行って、しかしライブを見たとたんにとっても好きになったのだったかなーと。野音のライブではいつもシャボン玉を配っているので、夕方になるにつれ照明の光を受けシャボン玉がキラキラしていくさまはなかなかの光景でそこにクラムボンのライブアクトが加わるとえもいわれぬ愉悦がその場にわきあがるのです。
 原田郁子さんやミトさんがときどき「野音サイコー!」とか言う気持ちはよくわかります。
 確か2年前のときには『神童』の後だったので萩生田監督や北原京子夫妻等と行っていたと記憶しています。このときは挨拶に楽屋裏まで赴きました。
 今回のライブは、当初土曜だけのスケジュールだったのが急遽その週の日曜も空いているということがわかり、慌ててやることになったのだという話で、そんな急な展開にもかかわらずお客さんは満杯、とにかく盛り上がっておりました。
 アンコールの際、遂に強い雨が降り出しましたが、客席の人たちはすぐさま一斉に雨合羽を羽織ったのは面白い景色でした。
 ちなみに今度やろうとしている映画に70年代の野音のシーンが出て来ますが、ここにいる限りは70年代も21世紀もないなと実感できたものです。

根岸洋之
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2008年08月29日

子どもと映画/映画『コドモのコドモ』

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9月27日に公開される映画「コドモのコドモ」のノベライズを、原作、完成した映画、脚本をベースに書かせていただきました。
小説と呼べるものには程遠いかもしれませんが、この作品ともう一度、はじめから向き合うことができました。

初めてのことへ向かうというのは、経験から比較したり、方法を変換したりできなくて、頭も身体もフル稼働です。
そんな視点も持ち合わせながら、物事に対峙できたらよいのですが、慣れていくことで長生きすることもできるのかもしれません。
その点コドモの頃は、不慣れなことの連続のなか、日々感覚と身体を研ぎ澄まして生きていたように思います。

映画館を出ると、街が、色んなものが、今までと違ったもののように目に映ることがあります。
コドモの頃の目を取り戻したように世界を眺められる映画があります。


『コドモのコドモ』を観終わって、世界を、新しい生まれたばかりのような眼差しで眺めていただけたなら、と思います。


宮下和雅子
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2008年08月27日

『コドモのコドモ』、ロケ地での試写という至福

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 先週、秋田県能代市にて『コドモのコドモ』の完成披露試写がとりおこなわれました。今回の能代は一年前のクランクイン時とはぜんぜん違って半袖だと肌寒さを覚えるくらいの気候で思わずジャスコへ走り長袖Tシャツを買いに行く羽目に。 
 当日8月23日、土曜の昼過ぎという事もあってか能代文化会館は400名ほどの観客で埋まり、そこには5年2組のコドモ達の姿などもチラホラ見えました。また母子という組み合わせが多かったのも印象的でした。舞台挨拶の後、映画が始まると日常よく馴染んでいるであろう風景や学校にざわざわ、また保護者会や街角、教室など自分らの出演場面などになるとよりダイレクトに反応、会場はその都度ざわざわわさわさし始め一種の集団的オーディオ・コメンタリー状態がしばし続いていったものです。途中ブタマン等で笑いをとりつつ、次第に物語の世界へと入り込んでいったような次第で、終盤、生まれたばかりの赤ちゃんの可憐な表情を大画面で見て、ほーっ・・というひそやかな歓声がどちらからともなく漏れてくるさまはこの映画の感動の内実がどこにあるのかを告げてくれているようで大変示唆的でした。実際この映画に出演した赤ちゃんも会場のどこかにいたらしく、ときどきその泣き声がきこえてきたのも不思議といえば不思議な感覚でした。
 上映環境としては観客席後方に映写機を設置している関係上、映写機のカチャカチャという廻転音も聞こえるなかでの鑑賞となり、自主映画的な手作り感のなか、東京などでの試写では味わえない類いの親密さに包まれたいきます。実際僕自身この試写においては割と素直に出産シーンで感動することができたのです。市長や教育長をはじめとする市の関係者の方々にも非常に気に入ってもらえたようですし、試写にお越しいただいた観客の皆様もすんなりと映画に入り込めたのではなかったかと思います。とにかく見てみないとなんともいえない映画であることは間違いないところです。
 
 前日のべらぼう、当日の金勇、わかば亭での食の豊穣さも含め愉しい能代滞在でした。おかげでちょっと太りましたけど・・。

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根岸洋之
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2008年08月05日

「後楽園」発、「リバーサイド入口」経由、「劇場用映画」行

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前々回の萩生田監督のブログにちなんで、このタイトルにしました。
つまり、沖田修一監督のことですが、今年、「後楽園の母」と「リバーサイド入口」というテレビドラマを撮って、来年、いよいよ劇場用映画に挑戦することになるという訳です。

その第1弾のテレビ番組×DVDコンテンツとして企画されたオリジナル・コメディ「後楽園の母」がついに完成。
いよいよ7月25日(金)24時半からMUSIC ON! TVで放送されています(実は、後で撮った「リバーサイド入口」が、放送は6月と先になったのですが)。

http://www.m-on.jp/specialprogram/sp_detail8732.html

その前に、いしわたり淳治さんとのトーク付きの上映が、7月18日(金)夜にシネセゾン渋谷で行われました。ふつう、テレビ番組が映画館で上映されるというのは珍しいのですが、来年に劇場用映画の撮影、公開が決まっている沖田監督ならではの特別イベントです。場内は若い女性中心で一杯で、クスクス笑いが続き、大いに盛り上がりました。
いしわたりさんは、若い音楽ファンを洋楽から邦楽に大きくスライドさせた、伝説のロックバンド「スーパーカー」を率いていましたが、今回、役者としてデビューしました。といっても、骨折して入院した役柄なので、ほとんど台詞がありませんが、目線一つでいい演技をみせてくれています。ファン必見のドラマです。
ちなみに、主題歌は「くるり」の新曲です。岸田さんは、いしわたりさんの仲良しで、主題歌を作っている途中に、参考のためにラッシュ映像をみて、「フレッシュ」と演技の感想をひと言いしわたりさんに伝えたそうです。しかし、さすがにドラマの内容にぴったりのいい曲です。ピクニックの作品としては、山下敦弘監督の『天然コケッコー』に続いて、くるりから主題歌の提供をうけて大感激です。

また7月25日(金)には、主演の由紀さおりさんを中心に、スタッフ、キャストが集まって、関係者試写を行いました。その後、簡単な打上げパーティになり、これまた大いに盛り上がりました。
沖田監督は、もともと森田芳光監督の「家族ゲーム」が好きで、そのヒロインであった由紀さんに憧れていました。ですから、自分の撮るドラマに主演で出て貰うことに、内心舞い上がっていたのではないでしょうか。撮影中も、脇で見ていて、最初の内はとても緊張していたように思います。
しかし、女優であり国民的な大歌手であもる由紀さおりさんは、この「後楽園の母」をシナリオの段階から気に入ってくれたようで、本当に嬉しかったです。このご恩は決して忘れることはないでしょう。今後、いい映画を作り続けることでお返ししたいと思っています。

春藤忠温
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2008年07月24日

『ファララ』を再見して

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 フィルムセンターでPFF30回記念のプログラムが組まれていて、『リトルウィング』(81)と『ファララ』(83)を見直してみた。前者は、10代から培ったであろうサブカル的教養を駆使して、つげ義春とジミヘンがフェリーニ的語り口=騙り口の中で出会うという奇妙なユーモアをもった青春映物で、その知的早熟度は堂にいっており、学生時代に何度か見たときに比べ、ずっと判りやすく楽しめた。監督島田元氏のキャラも十二分に出ており余計な事もやってはいるが、それも今となっては懐かしい。最近はプロデューサーとしても活躍中の若き日の長髪グラサンの片嶋一貴さんが結構巧みな芝居をしていたのには大いに笑った。それにしてもこの語り口はなかなかユニークで、へんな言い方だが妙に勉強になったように思う。
 一方、塩田明彦の『ファララ』は、ブレッソンやゴダールをとことん見ていなければ撮れっこないごっつい作風で、やはり以前見たときよりずっと鮮烈であった。撮影がまさにヌーヴェルヴァーグのような瑞々しさで、一種の音楽映画でもありつつ、なぜかサイレント映画の匂いもするというプリミティブな味わいをもった傑作。そういう意味で懐かしさとは無縁に今なお刺激的な映画として見れた。ただその様式の完璧さを超えいかにも塩田だと思わせたのは、主演女優のエロスを、まさしく80年代の女子大生が孕んでいた恥じらいの肉体として繊細に描き得たという点で、学生時代に見た77年生まれの向井康介をして“エロい”といわしめた、90年代以降のエロい感覚とはずいぶん異質な、なんともいえない生々しさ、青っぽさが凄まじく、またそこだけは妙に懐かしくもあり、真のデビュー作『露出狂の女』にもその生な感じは流れ込み継承されていたように思う。塩田監督が谷村美月にこだわるのも、その今風とは決して言えない生々しさ故ではなかろうか?
ファララからどろろへ。この悪戦苦闘の果てに中年男を撮りたい、アクション映画を撮りたいとの作家的自意識をもてあましているかにみえる塩田明彦だか、やはり女優を本気で撮っている彼こそが無条件に面白い、と『ファララ』を見直して思った。


根岸洋之
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2008年07月17日

ジュノ発コドモのコドモ行き

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 暑いですね。容赦のない夏です。週末に1日中、ビルの屋上で撮影をしていて、顔の皮膚がぼろぼろです。それはともかく、遅ればせながら先日「JUNO」観ましたので、そのことについて書きます。

 あられもなく言ってしまえば、「16才の女の子が妊娠出産する」と言う、言わばセックスの低年齢化を扱った作品なのか?とも誤解されかねない作品です。
 しかし、ぼくはこの映画はそのような乾いた物議とはかけ離れたところにあるように観ました。主演のエレンペイジがどうにもすごく魅力的でまいりました。その微妙に変化して行く表情の中にいくつもの言葉にならない声が聞こえてくるようでした。映画は、彼女が自分の決断からしたことを受け止め続けることについて語っていました。それは責任を果たすと言う、いささか悲壮感をともなう感覚とは少し違って見えました。なんと言うか、もっと積極的でサバイバルな冒険なのです。
 冒頭、彼女は学校ではちょっと冴えない男の子のことが好きで一夜を共にします。そしてメインタイトルが出る前、およそ3リットルはあるだろうオレンジジュースをがぶ飲みしながら町を歩く彼女は、雑貨屋で妊娠検査薬を手に入れ、自分の身体に起こったことを知ります。まず何よりも、あんなでかいボトルが入る冷蔵庫が家にあるなんて、やっぱりアメリカってでかいな、などと思って見入っていると、彼女の部屋の電話はハンバーガーの形をしてちょっと断線気味だったり、その彼氏の部屋のベットは車みたいになっていたり、その美術装飾は今を象徴する日常のモノで溢れていて、脚本には巷に溢れる今の情報が詰め込まれていました。
 この作品の緻密な脚本はやがて、その溢れる情報の中で、それに耳を塞ぐのではなく、選び取って行くひとりの女の子の持っている力を描き出して行きます。自分自身とお腹のいのちが生き抜いていくために。
 中絶への拒否、親への告白、里親の決定と出産を控えた彼女は自己決定を迫られ続ける。しかし、彼女は時に自分の経験や知識、感情の容量を超える事態にぶつかりながらも、自分自身で情報を選択する。そして周囲は決断した彼女にその子自身を再発見して行く。
 彼女の判断の基準はあくまでも「自分がそうしたいかどうか?」。何ともその姿が逞しく、ロックで、ぐんぐん心を動かされ、もう涙が止まりませんでした。

 帰りの道すがら、「性」を扱えばどうしても性的欲求の一面ばかりが強調されがちで偏ったイメージを抱いてしまうけれど、「性」はいのちのメカニズムを知ることで、ひとりひとりが別々なことを肯定していくための知識なのだと改めて教えられた思いでした。そして「大量の情報の中で子どもたちは何を選び取っていいのか分からなくなっている」と当たり前のように言われていることへの疑問も浮かんできました。彼女、彼らはもっとしたたかな強さを秘めているのかもしれない、と。

 公開が控えている拙作『コドモのコドモ』もまた、コドモの妊娠出産を題材とした作品です。切り口はまったくもって違いますが、大人の子どもへの目線とその距離感を、もう一度考え直す意味ではとても近いものを感じてしまいました。
 期せずして公開が相次ぐことになったことに、今なにが必要とされているのかなと、思いめぐらす今日この頃です。

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また。

萩生田宏治
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2008年06月03日

カンヌの表と裏

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カンヌに行って来ました。いつかは映画人として行きたいなとは思っていましたが、まさか急にこんな感じで行くことになるとは。自分でも驚いています。

今年のカンヌ映画祭は、奇しくも『TOKYO!』と『トウキョウソナタ』と題名に東京がつく2本が正式出品されていたものの、例年に比べて日本からの関係者は少なかったと聞きます。そんななか、小笠原くんのレポートにもあるように、公式上映の夜、タキシードを着たわれわれは、花火が打ち上げられた街を、華やかなメイン会場に向かった訳ですが、個人的にはどうも場違いのようにも感じられ、レッドカーペットの近くよりも裏通りにあるカフェでこそやっと落ち着けたものです。日本語を話すマダムに案内されたテーブルで赤ワインを飲みながら、しみじみとカンヌの夜を実感した次第です。

そもそも『TOKYO!』は、パリに住む日本人プロデューサー2人の企画によって生まれ、3人の外国人監督と、ほとんどが日本人のキャスト、スタッフによって撮影されました。その出来上がりは、日本映画でもなく、フランス映画、韓国映画でもなく、まさしく不思議なコスモポリタンな映画となっています。
公式上映で、日本での試写室では見られない笑いなど、カンヌならではの違った反応があったのは驚きでした。また、ピクニックの名前が小さいながらスクリーンに映った時も、ちょっと嬉しく誇らしく感じました。

映画祭初日の朝に、メイン会場の前に着くと、もう大勢の観光客が写真撮影をしていて、我々も当然のようにそれから写真をどれだけ撮ったか、デジタルカメラなのでもの凄い枚数になったと思います。リュミエールで、ドビュッシーで、マーケットのブースで、近くのホテルのロビーで、トップレスのいたビーチで。まるで修学旅行での中学生のようでした。まあそれも、18年前に会社を創立したメンバーが揃っていたこと、今回はある意味で記念旅行でもありましたから、どこに行っても写真を撮っている、ほんとおのぼりさん集団でした。

現在、カンヌはもっとも権威のある、人気のある映画祭だと思います。しかし、今年はハリウッドからプロモーションのためにきたような映画が目立っていましたし、マーケットにもホラー映画なんかが多くて意外な感じもしました。一方、コンペティションは政治色の強いセレクションだったような気がします。『TOKYO!』は<ある視点部門>での上映でしたが、他にも<監督週間>や<批評家週間>などの部門があり、とにかくカンヌではもの凄い数の映画が上映されているのが、現地にいって実感としてわかったことです。


春藤忠温
posted by ピクニック at 15:49| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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